空手には「型」という概念があります。(「型」は「形」と表記することも)型とは、1人で決まった空手技をどれだけ正確に出せるかを修行する方法であり、空手の型には様々な種類があることを知っておきましょう。
現在、世界空手連盟(WKF)が認定している空手の型は、102種類あります。ただし空手の選手や先生が102種類の型すべてを網羅しているかというと、そうではなくそれぞれの流派により学ぶ型が違っている場合もあります。
流派、団体、各道場の考え方によって、数少ない型を繰り返し学ぶ方針のところもあるのです。また新しい創作型を練習している道場もあります。
空手がまだ、沖縄だけで練習されていた頃、空手にはいまでいう「移動稽古」もなく、「約束組手」もほとんどありませんでした。おそらく「基本稽古」なかったと考えられます。
昔の沖縄空手の稽古は「型にはじまり型に終わる」と言ってもいいくらい型中心の稽古でした。この練習方法は。伝統的な中国武術と同じです。
やがて大正時代に沖縄から本土に入ってくると、最初は本土の大学生たちが空手を学びました。
学生たちは、型だけの稽古がわかりにくかったのかも知れません。型を分解し、巻き藁稽古なども参考にしながら基本稽古を作ったと考えられます。そして剣道や剣術、柔術を参考に約束組手を編み出していきました。
空手と似た競技にキックボクシングがあり、よく両者は比較されることがありますが、「型」があるかないか、というのは空手とキックボクシングの大きな違いの一つといえます。
しかし昭和2年(1927)に「東京帝国大学唐手研究会」が、面・胴・ブローブなどの防具付き自由組手(試合形式の練習)を模索しだすと、本土に空手を紹介し、本土での空手普及の大恩人である船越義珍は激怒し、昭和4年(1929年)12月に東大師範を辞任してしまいます。
古来の沖縄空手を本土に持ってきた船越義珍にすれば、型からはみ出た自由組手は「型を乱すだけのもの」に感じたのかも知れません。
しかし本土の空手は、型を忘れることはありませんでした。いまでは型も競技化され2020年の東京オリンピックでは、「形」として競われました。もちろん「組手」の試合も行われました。いまや「型」と「組手」は空手の両輪となっています。
これからも古くから伝わって来た型を、空手家たちは修行し続けることでしょう。