空手の起源について|創始者や発祥国は?

空手道というのは元々琉球王国、いまの沖縄県で発祥した武術です。そのときの武術は、いまにも伝わる徒手空拳の拳法だけではなく、武器術である仗・棒・トンファー・鎌・ヌンチャクなどもあります。

 

琉球王国で空手が発達した背景

琉球王国で空手という素手の武術が発達したのは、江戸時代に薩摩藩に侵略され。琉球王国の武人は武器の携帯が禁止されたからという説があります。

 

ただ琉球王国では、薩摩藩に侵略される前から武器の携帯は禁止されており、「薩摩藩が武器を取り上げたから空手が発達した」という説は、見直す必要があるかも知れません。

 

もしかしたら、江戸時代初期の薩摩侵略以前から、素手の拳法は研究されていたのかも知れないのです。

 

中国の武術や薩摩藩の武術の影響

現代の空手は、中国の武術や薩摩藩の武術の影響を受けていると言われています。

 

例えば空手独特の鍛錬法である「巻き藁突き」は薩摩藩の剣術、示現流の立木打ちの応用とされており、大正時代に本土に入ってきた空手は当時「唐手」と称していました。唐の手ですから、中国拳法という意味です。

 

そういうわけで、正確には空手とは

 

  • 琉球王国の武術
  • 中国武術
  • 薩摩藩の武術

 

がチャンプルー(まぜこぜ)され、琉球王国(沖縄)で発達した武道です。

 

やがて大正時代になり、琉球拳法「唐手」を本土に伝えたのは、船越義珍という人物はじめ、複数の沖縄の武人たちでした。

 

沖縄から本土に入って来た「唐手」は、船越義珍によって「空手」と改められ、それまではフンドシ一丁で練習をしていたのが、練習着として柔道着をモデルにした「空手衣」を取り入れました。

 

こうして沖縄というローカル武術であった唐手が、日本本土の空手となったのです。