空手とテコンドーの違いとは?

空手と極めて似ている格闘技にテコンドーというものがあります。似ていて当然。テコンドーは、日韓併合時代に中央大学で松濤館空手を学んでいた崔泓熙(チェ・ホンヒ)というエリート軍人が創始したものなのです。

 

 

テコンドーの歴史

日韓併合時代、あるは終戦後の朝鮮半島では、日本に留学しに来たり働きに来る韓国人が空手を学び、母国に帰って「コンスドー」(空手道)や「タンスドー」(唐手道)、または「カラテ」(韓手)などの呼称で普及しはじめました。崔泓熙もその1人でした。

 

1954年、崔泓熙少将は、自分と自分が教えた第29歩兵部隊とで、李承晩大統領の前で空手の演武を行います。

 

李承晩大統領から「この武術の名前は?」と聞かれ、大の反日主義者である李承晩大統領の前で「日本の空手です」とは答えられず「自分が創始した武術です」と答え、やがて武術名を?拳道(デコンドー)と名付けました。1954年のことでした。

 

そして1955年、崔泓熙が名称制定委員会を開催、李承晩大統領によって正式に「テコンドー」の呼称が決定したのです。

 

テコンドー最大の魅力は多彩な足技

日本の空手から独立したテコンドーは、独特の発展を遂げていきます。その特徴はなんといっても多彩な足技。それは別名「足のボクシング」と呼ばれるほどです。

 

日本の空手家たちが後ろ回し蹴りを知ったのは、カンフースターのブルース・リーが、『燃えよドラゴン』という映画が最初といいます。『燃えよドラゴン』の公開日は1973年12月22日です。

 

その当時日本の空手家の多くは「一瞬と言えど敵に背中を向ける蹴りなど」と、拒否反応を起こしましたが、韓国のテコンドー修行者たちは、60年初頭にこの技を研究し、60年代後半には、欧米に伝えていました。

 

「コリアンカラテ」として急速に普及

米国では「コリアンカラテ」として急速に広まっていきました。その勢いは、本家である日本を超え、当時の米国の空手でも後ろ回し蹴りは使われていたようで、ブルース・リーの後ろ回し蹴りも、テコンドーやその影響を受けたアメリカン・カラテから学んだものでしょう。

 

1987年、極真空手第4回世界大会で、後にK-1で大スターになるアンディ・フグが「かかと落とし」という必殺技で準優勝しています。

 

アンディ選手は「かかと落とし」を自得したようですが、そのころ世界のテコンドー界ではかかと落としとそっくりな技で「ネリチャギ」という技が普通に使われていました。

 

そしてテコンドーはオリンピック競技に

現在テコンドーは世界テコンドー連盟 (WTF)の尽力により、オリンピック競技にまで発展しました。その背景には、韓国が国を挙げてテコンドーを広め、国技として世界に広めようと支援してきたというものがあります。

 

また世界テコンドー連盟 (WTF)以外に、国際テコンドー連盟 (ITF)という国際組織も存在し、ルールは異なるのですが、やはり足技の華麗さという点では同じです。