空手と柔道どっちが強いか?
これは柔道だけではなくVSボクシング、VSプロレスなど、空想をたくましくしてワクワクしている人も、少なくないと思います。
ただ、ある程度の答えは出ていて、もしル
空手をはじめる理由は人それぞれ、護身のため、健康のため、特撮ヒーローにあこがれて、ただ強くなりたいからなどなど・・・ では、『空手の目的』や『空手道の精神』とはなんでしょう? 今回はそんなこと考えていきたいと思います。
まず空手は武道であることを忘れてはいけません。武道とは「武の道」であり、本来は武士が行うものでした。武士は武術を学びます。それは自分を護るためだけではなく、家族や仲間、最終的には主君を護るためのものでした。
また護るだけではなく、合戦のときなど、敵の命を奪うためのものでもありました。
一つ間違えれば人の命を奪うものですから、技だけではなく普段から人格や道徳心、礼節をわきまえるなど、人間性を高めるのが空手も含めて武道の目的なのです。
空手は突きや蹴りを主体としたものです。敵に対して顔を突けば鼻が潰れたり歯が折れたりするような大変危険な技を日々鍛錬しているのです。空手を習っている人は、人をケガさせたり傷つけたりするために道場で汗を流しているわけではありません。
むしろその逆で、空手を学ぶことで礼節を知り人格を高め、思いやりの心をはぐくみ、平和に貢献するというのが、空手道の精神です。
それを表しているのが「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」と「空手に先手なし」です。
「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」という言葉は剛柔流空手の流祖であり、宮城長順のものであり、「空手に先手なし」は本土に空手を紹介し、松濤館空手の開祖である船越義珍の言葉です。
船越義珍の「空手に先手なし」は、単純に「先に手を出してはいけない」ということではなく、できうる限り争いは避けるべしという教えなのです。