空手の茶帯ってすごいの?

1年に4回昇級審査があるとしましょう。その道場では色帯10色、級位は10段階と仮にしておきます。

 

先生が飛び級を許さず地道に級位を上げていくとして、毎回審査に合格していくとは限りません。ときどき昇級審査に落ちてしまうことや、審査を受けられないときもあることでしょう。

 

すると当然、黒帯への道は遠くなりますが、当然茶帯への道も遠くなります。

 

 

茶帯で初心者に指導をしている人も

茶帯というのは、黒帯直前の1〜2級が巻く帯です。当然、その実力も黒帯直前ということになります。すると茶帯なのに初心者に指導をする人もいるのです。

 

あるフルコンタクト団体では、初段の審査が難しく黒帯になるまで5年かかると言われています。初段直前の茶帯の中には、運悪く何度か落ちてしまった人の中には、初段の黒帯より技術のあるような剛の者がいたりするそうです。

 

茶ゴロがいたという怖い時代

昭和時代の後半、劇画「空手バカ一代」の大ヒットで、主人公のモデル大山倍達が設立した団体「極真会館」には、その当時毎日何十人も入門者がいたといいます。

 

毎日何十人も入門者がいたわけですから、道場の中には人が入りきらないほどになります。すると今では考えられないことですが、当時の黒帯たちが道場性を「間引き」をしようという考えが出てきました。

 

「間引き」というのは、畑などで最初はたくさんタネを撒くのですが、発芽した中で、弱そうなのを摘んでしまうことです。

 

つまり、弱そうな入門者をKOしてやめさせてしまうというもの。1970年代80年年代の極真空手ではそんなことが行われていたそうです。こわいこわい。

 

そういう過酷な中で、茶帯まで進級した人は「自分は相当強いはずだ。自分の実力を腕試ししてみたい」という人がいて、街に出てケンカを売って腕試しをしたそうです。そういう人を「茶ゴロ」といったとか。「ゴロ」とはケンカという意味の隠語。そういう時代もあったんですね。